2022年9月4日日曜日

種々の異言 20

言葉にならないうめき



あなたの肉は異言で祈る事を嫌います。異言は何も実を結ばないもの、退屈なものだと訴えるのです。異言で祈り始めた途端、様々な余計な事を考えてしまうのは、肉が働いているのです。


自分の思考を制御し、落ち着けるようにしなければなりません。通常、最初のうちは、御霊の事柄に集中できるようになるまでに長い時間が掛かるでしょう。殆どの人は、少しばかり祈るだけで、まだ魂の領域にいて、霊と異言の繋がりを持つ事はありません。


あなたが世と関わっていて、日常生活で未信者の人々との交流が多いなら、御霊の事柄に集中できるようになるには、少し時間が掛かるでしょう。気が散らされない為に、こうした世的、肉的なものを排除しなければなりません。


「私はこれだけの時間を取って、祈るのだ」と言って、集中し、他の事を遮断しなければならない時が来ます。思考が常にあなたを他の事に導こうとする為、祈る事を決断して、自分にそうするように課す必要があります。最初は、それは訓練です。しばらくすると、訓練であったものが、習慣になり、その後で、あなたは夢中になってできるようになるでしょう。


いつ祈るか自分で決めましょう。自分の霊が支配している事を理解しなければなりません。あなたの霊は、魂と体をコントロールしなければならないのです。自分の魂と肉体に、何をするべきかを命じて下さい。


朝、眠気が抜けないまま適当に祈ってはいけません。祈る時には、目が覚めている状態で祈って下さい。あなたが神と真剣に向き合っていて、御霊によって常に自分自身を築き上げている必要があるからです。何が起きても常に準備が整えられているように歩むのです。


必要な事は何でも準備し、万が一の事の為に備え、何でもできるようにしておく必要があります。だから今日、異言で祈らなければならないのです。誰かが、あなたの助けを必要としているからです。


神は、シオン(この場合は教会)がその子を産む為の産みの苦しみむするのを待っておられました(イザヤ 66:6)。あなたが異言で祈る事を通して、御霊は神の完全な御心を祈ります。


御霊は、あなたを通して神の完全な御心を祈ります。あなたがすべき事は、それを解釈する事であり、そうすれば、あなたは神の御心を知る事になるでしょう。そうすれば、あなたは神の御心を知る事ができます。私たちが御霊を持つのは、神が私たちに与えて下さったものを知る為です。私たちが努力して神の御心を得るという事ではありません。


神が与えた恵みの賜物は、私たちが準備して用いなければなりません。肉のもの、余計なものを私たちは取り除く必要があります。そうすれば、与えられたものを上手く用いる事ができるのです。


新生により、霊は完全になったのですが、思考はそうではありません。思考の一新により、あなたはより霊的に機能するようになるのです。私たちはキリストの考え方を持っています。霊がそれを知っています。異言で祈る事で、御霊にキリストの考え方を自分の霊から思考へと引き出してもらう事ができます。


御霊が神の御心を祈って下さいます。御霊はあなたの為に神の完全な御心を祈り、それがあなたをキリストのように形成するのに役に立ちます。それをもたらすのは、言葉にならないうめき、霊における苦しみなのです。それは、自分自身に対するものでも、他人の為の祈りでもあります。


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