2022年9月3日土曜日

種々の異言 21

 1コリント 14:18-19「私は、あなた方の誰よりも多くの異言で語っている事を、神に感謝しています。しかし教会では、異言で一万の言葉を語るよりむしろ、他の人たちにも教える為に、私の知性で五つの言葉を語りたいと思います。」

パウロは異言を重要ではないと言ったのではなく、時や場所を考えなくてはならないと言っている。 

パウロは、異言を話す事で知られていたコリントの人たちよりも多くの異言を話した。これは、彼が日常生活の中でより多くの異言を話した事を証明し、異言の私的、及び、公的な使用がある事を示している。パウロは異言によって祈ったので、多くの奥義を知った。

パウロは、異言の賜物の秩序ある方法を教えた。異言を話すなら、多くても三人までで、解き明かす者がいる場合に限る。従って、秩序は、賜物を用いる人が作るという意味でもあるが、同時に、その人は御霊に導かれている必要がある。我々のする部分と、神が働かれる部分があり、神との一致が鍵だ。

聖霊は異言の言葉を与え、それを我々が信仰を持って口を通して話す。

神は、救われてから直ぐにでも、新生したクリスチャンが、聖霊に満たされて、神の力にあって神の子として歩む事を望んでおられる。聖霊のバプテスマを受けるのに適切な霊的レベルに達する必要はない。

他の異言で祈ると、自然的なものと霊的なものとの間のギャップを埋める。その時、あなたがどこにいて何をしているかに応じて、どちらにも足を踏み入れる事ができる。

毎日、一時間異言で祈れば、我々は霊の領域で繋がっている為に、皆が強くなれる。キリストの体として機能するとはそういう事である。

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1 異言に対する反論

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