2023年1月3日火曜日

16 異言の役割

多くのクリスチャンが霊的な事柄において成長しない理由の一つは、誤りや極端な考えに陥る事を恐れて、霊的な賜物において進歩するのを恐れているからです。聖書は「...御霊の賜物、特に預言する事を熱心に求めなさい」と言っています(1コリント 14:1)。信者は、聖書が実際に述べている事ではなく、自分の体験や教会で起きている事から聖書を解釈する為、神の祝福を逃す可能性があります。


教会では「様々な異言」という御霊の現れ(御霊の賜物)が信者の成長に役に立ちますが、各クリスチャンの場合は、自分自身が霊的に成長する為に異言で祈る必要があり、これは、個人の霊的な成長の異言であって、皆が祈る必要があります。しかし、聖霊が信者に異言で祈るように促しているのに、彼らはそれを無視して日常生活を続けると、神が意図されているような聖書的な成長を学ぶ事は決してありません。霊的に発達し、成長する上で、あなたの役割はなんでしょう?聖書はあなたの人生に絶対的に影響を与える、幾つかの事をするようにはっきりと言っています。ただ神に従い、自分の役割を果たせば、異言で祈る事がもたらす超自然的な力の深さ、高さ、範囲を発見するでしょう。神との神聖なコミュニケーションは、あなたを神の霊の中で大きく築き上げます!


霊の歌


1コリント 14:15「それでは、どうすればよいのでしょう。私は霊で祈り、知性でも祈りましょう。霊で賛美し、知性でも賛美しましょう。」


パウロはこの聖句で、神と対話するのもう一つの聖書的な方法について言及しています。「異言で歌えそうにない」と思うかもしれません。しかし、パウロは、自分の霊と知性をもって、歌うように言いました。


コロサイ 3:16「キリストの言葉が、あなた方のうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」


誰に歌うのかというと、主にです。多くの教会の問題は、多くの場合、人々が主に向かって歌うのではなく、地域の集会で互いに歌い合っている事です。次の聖句は、なぜ私たちが主に向かって歌うべきかを教えてくれます。


エペソ 5:18-19「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」


「御霊に満たされなさい」という句の直後に、話り合う事と歌う事の2つのキーワードがあります。私たちは、自分自身と神に向かって話したり歌ったりする事によって、御霊に満たされます。そして、聖霊に満たされた後も、主に向かって話したり、霊から歌い続けたりする事で、満たされた状態を保ちます。神との交わりの一面は、御霊によって主に向かって歌う事です。使徒行伝16章には、その実践による霊的な価値の例が示されています。


使徒 16:25「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。他の囚人たちはそれに聞き入っていた。」


パウロとシラスは傷つき、足は縛られていました。しかし、周囲が真っ暗な真夜中の時間に、彼らが何をしたかに注意して下さい。彼らは囚人たちに祈り、賛美を歌いましたか?いいえ、彼らは神に祈り、賛美を歌い、強力な聖霊の力を現場にもたらしました!


使徒 16:26「すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、全ての囚人の鎖が外れてしまった。」


私たちの教会で歌う歌の多くは、コロサイ 3:16とエペソ 5:19に倣ったものではありません。詩、賛美歌、霊的な歌で自分自身に語りかける事について、私たちは本当に殆ど何も知りません。しかし、聖書的な異言については、聖霊の霊感によって主に向かって歌う事が含まれていなければなりません。これは真の新約聖書の礼拝であり、私たちの生活や教会で日常的に行われるべきものです。さて、一部の信者は、聖霊の霊感によって詩を歌う事よりも、異言で話す事に専念しています。 ただし、最終結果は同じです。神との個人的な歩みの中で、私はかなり頻繁に異言で詩にします。私は異言で詩を歌いながら、車で道を走ります。私は夜、ベッドに横になり、異言で詩を歌います。


時々、礼拝の中で、聖霊は私に異言で詩を歌うよう促します。何年にもわたって、私は別の霊的なパターンにも気付きました。敵が攻撃していて、私が大きなプレッシャーにさらされていた時はいつでも、聖霊に触発されて異言で歌うようになりました。ある夜、私は異言で詩を歌いながら眠りにつき、異言で歌いながら目覚めました。殆ど眠れない夜もあり、一晩中異言の歌を次から次へと歌えました!聖霊の霊感によって異言で歌う事は、あなたを築き上げます。それはあなたを聖霊の中にある超自然的な平和と喜びのより高い領域へと導きます!聖霊の霊感によって、詩、賛美歌、霊的な歌で自分自身と神に向かって語り、歌う事の実践を信者の生き方の一部として維持する必要があります。あなたの霊と知性の両方で、神を歌い、賛美して下さい。「そんな事した事もない」とあなたは言うかもしれませんが、この素晴らしい手段で自分自身を成長させる事を決意する必要があります。御霊の中に入るまで、異言で祈り続けて下さい。それから、聖霊の霊感を受けながら異言で詩を歌い始めましょう!異言で祈り続けると、霊感による言葉が湧き上がり、詩、賛美歌、霊的な歌があなたの霊から自由に流れ出します。ですから,聖霊に促されて発せられる所にたどり着くまで祈り続けて下さい。内なる聖霊に従う事を学びましょう。あなたの霊に触れて下さい!あなたの内側にあるものを異言で歌ったり話したりして下さい!いつでも好きな時に、異言を話すか歌うかを決める事ができます。しかし、あなたが異言で神に近づくと、インスピレーションは聖霊から来るでしょう。彼はあなたを導き、霊感を受けた言葉があなたから出てくるでしょう。詩、賛美歌、霊歌における超自然的な発言は、あなたの個人的な献身的な生活の中で日常的に行われるべきです。特定の状況では、詩や霊的な賛美歌を公の場で話したり歌ったりすることも聖書的です。ですから、あなたがこの超自然的な語りの分野でまだ発達していないのなら、異言で祈り続けて下さい。聖霊に促された祈りの言葉が、超自然的な成長の源である事をあなたは知るでしょう。


戦いの異言


1コリント 14:2でパウロが言った事を基盤として「異言による霊の戦い」を考えましょう。「異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。」パウロはそこで、神はご自身とのコミュニケーションの神聖な超自然的な手段として、教会に異言を与えられたと言っています。従って私たちは、直接、悪魔に異言で話す事はしません。私たちが悪魔や悪霊に対して直接するべき事は、「そこまでだ!イエスの名において、そこでやめろ!」と命令する事です。大声を出す必要さえありません。悪魔は権威を認識します。


いわゆる「戦いの異言」の背後にある考えは、私たちを取り巻く悪の状況において、何らかの方法でそれを切り開かなければならないという事です。だからといって、私たちは悪魔と会話する事はしません。私たちは、異言で神と話します。悪のわざを打ち破る為に、御霊と共に、父なる神と作戦会議をするのです。そうする中で、私たちは大きな声で異言を話すかもしれませんが、私たちはあくまでも神に話し、神と共に働きます。或いは、神と共に戦いにおける勝利を宣言し、それが速やかに行われるのを宣言するのです。


思考の一新


2コリント 4:16「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」


あなたが疲れ果ててしまっているなら、あなたは思考を一新させていません。あなたが生まれ変わった瞬間に受け取ったものは全て、神の御霊によってもたらされました。もちろん、あなたは回心した時点ではまだ十分に発達していませんでした。しかし、新生で働く同じ聖霊は、あなたが霊的に成長するのを助ける方です。その霊的発達はどのように行われるのでしょう?あなたの思考が毎日更新されると、それは起こります!次の節は、これを行う方法を示しています。


イザヤ 40:28-31「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れる事なく、たゆむ事なく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上る事ができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」 


絶え間ない思考の一新は、神の前で祈りの時間を過ごす事によってもたらされます。神の前に立ち、御霊によって祈る事は、休息を得、思考の一新を促進するだけでなく、肉体にも良い影響を与えます。しかし、この種の一新は、神の前で待つ事によってもたらされる事に注意して下さい。「待つ」という言葉には、主との交わりを意味しています。私は集会を待つ事の大切さを信じています。それが個人的な信心において神の前で待つ時でも、信者の集団として集合的に神の前で待つ時でもです。しかし、多くの人は間違った結論に達しています。「私は信仰によって歩み、正しい宣言を維持しているのですから、それだけで十分です。」 神の言葉を糧とし、御言葉に従って宣言をやり続ける事は正しい事です。これらは重要なものですが、主との交わりの代わりにはなりません。聖書は、主を待ち望む者は、新しく力を得ると言っています!


注意したいのは、同じ「待つ」でも、聖霊のバプテスマを受ける時に、聖霊を待つという事ではありません。約束の御霊は、神の子が求めるなら、御父はすぐに与えて下さるのです。ペンテコステの日以降、信者は聖霊のバプテスマの為に「待つ」必要はありません。信仰によって、聖霊に満たされるのです。しかし、聖霊によって満たされた信者は、今度は、御霊の祈りを通して、神を待たなくてはなりません。それは、神との交わりの為です。


エペソ 3:16「どうか御父が、その栄光の豊かさに従って、内なる人に働く御霊により、力をもってあなた方を強めて下さいますように。」 


異言で祈る主の前で待つ時間を通して、私たちは聖霊の力によって新たにされ、強められます。


休息


祈りのうちに神の前に待つことは、あなたの力を新たにするだけでなく、あなたの魂に大きな休息をもたらします。神の御前で祈り、御霊によって神を崇拝する時間を確保することで、私たちは継続的に休息の時間を過ごす事ができます。


何年も前、私は教会の夜の祈祷会で異言で祈っていました。私が椅子のそばにひざまずき、異言で祈っていると、主が私の霊に語りかけ始めました。人々が一致して一緒に祈ると、そうした聖霊の促しや働きがあります。御霊は私に、「カウンセリングをやめなさい。その方向へ行きなさいとは、私は言っていないからです。私が言ったのは、祈りと癒やしについてです。それに、殆どのクリスチャンはカウンセリングを必要としません。彼らがしなければならない事は、祈る事です」と言いました。あるペンテコステ派の牧師がかつて私に言った事を覚えています。この人は、彼の教団で最大の教会の1つの牧師でした。「私たちの教会は、人々を助ける為のカウンセリングを予定していました。しかし、彼らがただ神の前に来て交わりを持つなら、カウンセリングの必要がない事が分かりました。」牧師は正しかったのです。神の言葉は、聖霊が私たちのカウンセラーであり、私たちの内に住んでおられると教えています。私たちにはただ神の前で待ち、異言と知性をもって神を祈り、礼拝する時間が必要なだけです。私たちがそうする時、神は私たちに答えて下さり、霊、魂、体の絶え間ない更新を私たちに与えて下さいます。クリスチャンは、何をすべきかを教えてくれる誰かを探して走り回っています。しかし、殆どの人にとって本当に必要なのは、ひざまずいて祈る事だけです。


彼らが時間をかけて神の前で待つなら、彼らが必要とする天からの知恵を受け取るでしょう。もし私が別の教会を牧会することがあれば、定期的に「待つ」祈り会を開くだろうと、私はよく考えてきました。それから、カウンセリングを希望する全ての人に、「水曜日の夜に来て下さい。9時から真夜中まで、神の前で祈ります」と伝えるのです。もちろん、殆どの人は簡単なものを探しているので、来ないでしょう。残念ですが、助言を求める人の中には、自分の罪を容認し、自分が間違っているのに、正しいと言ってくれる人を探している人もいます。


ある男性が、私たちがまだカウンセリングの機会を設けていた時に来ました。彼はクリスチャンで、一人の夫、三人の子供の父親で、聖霊のバプテスマも経験した方でしたが、神が彼の妻を離れて、若い別の女性と一緒になるように、彼に言っていると主張しました。その人はカウンセリングを受ける必要はなく、神と正しい関係を持つ必要がありました。彼は悔い改めて正しい判断をする必要があったのです。主は、私が聖霊によって祈っていた時に言われました。「カウンセリングが必要な場合は、自分の牧師に助けを求める必要があります。あなたは自分の羊の世話をするだけです。」カウンセリングを受けたがっていた他の人々を教えるとしても、その時間だけでは無理があります。彼らが学ぶべき事は、祈って神の前に待つ事です。ただ1時間でも祈るだけで、殆どは解決されるのです。問題は、多くの信者が、時間を割いて自分で神の声を聞く代わりに、カウンセラーに神からの声を聞く事をしてもらいたいという事です。しかし、殆どの場合、カウンセリングは、信者が必要な答えを得る手段として、神が望んでおられる方法ではありません。彼らは神の前で待ち、祈りで交わる事で答えを得るのです。私は、相談相手を常に探しているクリスチャンを良く思っていません。彼らが誰かを探している間にも、真のカウンセラーを自分の中に抱えているからです!御霊は、私たちの素晴らしい教師であり、導き手です。彼らがひざまずいて異言で祈るだけで、内なるカウンセラーから知恵を受け取るでしょう。私はいつもひざまずいて天の御父に異言で祈りました。そして、私が自分の内側にいるカウンセラーに目を向けると、いつも導いてくれました。神の御前で祈りを待つ事の近道はありません。人々は、楽で手っ取り早いものを求めています。しかし、神に祈って答えを得る事は、時には、一晩中祈る必要があるものです。時には、断食も要するでしょう。神と二人きりになり、自分の成長の為に御霊によって祈って下さい。あなたの内側にある、幾つかのものを正しくして下さい。あなたが優先的にすべき事と、神があなたに望んでいる事を見つけて下さい。聖霊の助けを神に感謝します!御霊は私たちの助け主であり、必要な時の仲介者です。


内なる声


異言の祈りの中で主を待ち望み、頻繁に交わりを持つと、御霊の声をより識別し始めるようになります。異言を通して、神はあなたの霊に語りかけ、あらゆる分野で神の完全な御心を保つ方法を教えてくれます。真理の御霊である聖霊は導く方であり、あなたの中にいます。御霊は、あなたが従うべき確かな言葉を話します。


イザヤ 30:21「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳は後ろから「これが道だ。これに歩め」と言う言葉を聞く。」


私は、「聖霊の声を知る方法を教えて欲しい」とよく言われます。しかし、あなたは聖霊の声を自分で学ばなければなりません。聖霊があなたの内におられるので、あなたにはそれができます。もしあなたが時間をかけて主の御前で主を聞く事を学ばないなら、私や他の誰かがあなたに教えられるものは、全て無駄になるでしょう。「しかし、それが本当に私に話しかけているのが聖霊であるかどうか、どうすれば分かりますか?」と尋ねるかもしれません。その質問をするという事実は、その人が自分の中に住んでいるお方と知り合っていない事を意味します。ただ、神の前で祈り、神を待つ時間が必要なのです。もし十分神と時間を過ごすならば、聖霊の声を認識する方法を誰かに頼む必要はないでしょう。しかし、日常的に神の前で時間を過ごす事を拒否した場合、私が知っている事をその人に全て話しても、あまり効果がありません。その人は、御霊が言おうとしている事を見逃すでしょう。


神の計画


私の中には導いて下さる方がおられます。私は御霊の言う事に耳を傾けているので、神が私に伝えようとしている事を見逃しません。御霊は私の前に何があるかを知っていて、これから起こる事を忠実に教えてくれます(ヨハネ 16:13)。締め切りがある時、私からの回答を待つ事に、スタッフが私に苛立つ事があります。でも、神からの答えが私の霊に届くまで、私は動きません。私は詩篇 127:1に従って生きています。


詩篇 127:1「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」


私たちは様々な計画を立てるかもしれませんが、主がそこに介入していなければ、全て無駄です。ですから、聖霊の導きが私の霊に明確になるまで、私は動かない時もあります。あなたは多くの良い事や正しい事ができます。


しかしあなたの良い行いが、神の子としてのものでない場合、それらは、神があなたに望んでいるものではない場合もあります。その結果、あなたはトラブルに巻き込まれる可能性もあるのです。私たちが神の子としてやるべき良い行いとは、宣教命令に沿ったものが基準となるべきです。世的な考えや方法に基づく良い行いではありません。そのような方法であなたが人を助けたとしても、それは神があなたに望んでいた事ではないかもしれません。あなたは、神の子としてやるべき、具体的な神からのビジョンが何であるかを見つけなければなりません。全ての神からのビジョンは、宣教命令に沿うものですが、神があなたにして欲しいものがあります。 あなたが異言で祈りながら神の前で待つ時、聖霊はあなたを導いて下さいます。イエスが私たちに約束されたように、「聖霊はあなたに来るべき事を示します」(ヨハネ 16:13)。それに、神は「神の御霊に導かれる者はみな神の子です」という事も約束されました(ローマ8:14)。それはあなたが神の子として導かれる事を意味します。私はいつも勉強熱心でしたが、神と神の言葉について知っている事の殆どは、本を読んで得たものではありませんでした。私が聖書を学んだ主な方法は、異言の祈りを通してです。それが聖書の啓示が私にもたらされた方法です。時々、私が異言で祈っていると、神の御霊が聖書の幾つかの章を通して私を導き、その過程で私を変え、私のミニストリーを変えてくれました。私は内なるカウンセラーから啓示を受け、それによって私は別の方向に動き始めたのです。異言で祈っている時に、私は何度も、特定の方向への神の導きを受けました。多くの人が自分の人生に対する神からのビジョンを受けていないのはその為です。


人々は、異言で祈るのに十分な時間を費やしていません。彼らは神から答えを得る為に霊の深みに入る事は決してありません。その結果、彼らの全ての推論と計画は頭の中で練られ、最終的に彼らの人為的な計画は失敗に終わります。だからこそ、継続的な祈りの時間が必要なのです。神の臨在に入り、聖霊の中で祈れば、必要な全ての答えが得られるのです。そして、あなたが主を待ち望む時、休息と神聖な導きが得られます。神の言葉によって霊的成長の為に自分を養って下さい。御父との交わりに時間を費やし、異言で祈りをして下さい。あなたの霊が感じている事を学びましょう。毎日、聖霊はあなたの霊を通して、神の御心にあなたを導きます。覚えておいて下さい。神はあなたの霊を通してあなたを導きます。この聖霊の力の新しい領域を歩む事を学びましょう。全ては、毎日主の御前に出て、主があなたを導き、教え、あなたの魂を新たにするように委ねる事から始まります。


17 未知の事について祈る へ続く

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1 異言に対する反論

「イエスは異言を話さなかったので、異言は必要ない」という異言に対する反論があります。確かに、 イエスのミニストリーでは、異言や異言の解き明かしは見られませんでした。もちろん、それらの御霊の現れは古い契約の時代にも見られません。 これら二つの聖霊の賜物は、使徒言行録2章に記されてい...