2022年9月26日月曜日

種々の異言 4

しるしとしての異言


聖霊の満たし(聖霊のバプテスマ)を受けたしるしとして、第三者が自然に判断できるものは、基本的に異言です。稀に、預言の場合もあります。それらが無くて、真に聖霊のバプテスマを体験したと見るべきではありません。この場合、しるしとしての異言ばかりに焦点を置いて、それだけの為のものにしてはいけません。異言は、聖霊のバプテスマのしるし以上のものだからです。


真に聖霊に浸かると、様々な恵みの現れ(御霊の賜物)があったとしても、異言か預言もあるべきです。これらのうち、一つがないなら、その人はまだ御霊に浸かっていない(聖霊のバプテスマを体験していない)と考えるべきです。何故なら、聖霊に十分に深く浸かっているのなら、通常、異言が伴うからです。使徒言行録では、そのように書かれています。しかし、異言が伴わなくても、聖霊にある程度は満たされる事はあるので、それを一つの励みにして、次は聖霊に深く浸かる事を目指しても良いでしょう。


異言がないなら、以下の事が欠けている事になります。その人がこれらを欠いているのなら、御霊に浸かった、聖霊のバプテスマを体験したとは言えません。

1. 霊による交わり(神と共に歩む事を意識させる)

2. 啓示が与えられる(起こる事を示される)

3. 礼拝の助けになる(感謝を表す)

4. 休息(精神的、肉体的な回復)

5. 信仰を助ける(成長を助ける)

6. 執り成し

7. 舌の制御

8. 世の汚染からの守り

9. 他の恵みの現れへの扉


神が異言を選んだ理由は上記の通りであり、それらの恩恵が理由で、サタンは異言に激しく抵抗したのです。


悪魔が最も激しく戦ってきた分野は三つあります。癒し、異言、御国の経済の分野です。イエスは、「悪い、姦淫の時代(世代)はしるしを求めます」と言われましたが、信じる者にはしるしが伴うとも言われました。イエスは私たちに、悪い、姦淫の世代の人々に、しるしを与えなさいと言っておられるのです。そのうちの一つは異言です。


マルコ 16:17「信じる人々には次の様なしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉で語り、」


初期のギリシャ教父全員が、マルコ16章を引用しています。彼らが読んでいた聖書にはマルコ16章があったという事です。マルコ16章が8節で終わっている写本よりも、その後の節、特にイエスの語った部分を含んでいる多くの写本を尊重した方がより安全だと言えるでしょう。


異言は、話している人からすれば外国語です。使徒言行録2章でそれが起きました。弟子たちは無学でしたが、外国の言葉を話しました。超自然的な事が起きていたのです。しかし、外国語でない場合(御使いの異言)でも、解き明かしによって理解できます。


神がジョン G. レイクミニストリーを用いられた理由の一つは、聖霊の中への浸かりと異言の領域において、神の霊に重点を戻す為でした。レイクは異言が彼のミニストリーを作り上げたと言っています。 

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1 異言に対する反論

異論#1:「イエスは異言を話さなかったので、私も異言を話す必要はない。」 イエスのミニストリーでは、異言や異言の解き明かしは見られませんでした。それらの御霊の現れは古い契約の時代にも見られません。これら二つの聖霊の賜物は、使徒言行録2章に記されているように、ペンテコステの日に聖霊...