2022年9月25日日曜日

種々の異言 5

 御霊によってなされるべきものが、多くの場合、人間的な努力や肉のものになる事がある。それは、興奮や感情から来るもので、聖霊の働きではない。


多くの場合、我々は集会で神の霊の深さを否定してきた。それは、聖書が全く言及されず、全てが御霊によるものであるような、極端なものではない。或いは、「聖書的になり過ぎ」て、儀式や律法主義的な考えに傾倒して、やたらと人々を非難してしまう事でもない。霊の深みとは、御霊と御言葉がバランスを保ちながら共に働き、深みをもたらすという事だ。


*ジョン・レイクは、かつて彼の秘書だったミス・エマ・ウィックが、御霊の中へ浸かる事なしに人々に異言を話させるコツを持ってた事を話している。恐らくこれは、真のものではない。


御霊との継続的な関係は、我々を御霊のより深い所へ連れて行ってくれる。今日の神学は浅く広いが、本来はもう少し狭く深い教えになっているべきだ。そして、我々は御霊の事柄をもっと掘り下げるべきである。


異言は神との直接のコミュニケーション


1コリント 14:2「異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。誰も理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。」


異言は誰も理解できないというのがパウロのポイントだ。パウロは、主に教会での異言についてこの章で語っているが、この節では、個人的な異言の用法についても言及している。そのコミュニケーションの動機となっているのは、あなたの中におられる神の御霊である。


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