神との直接のコミュニケーション
御霊によってなされるべきものが人間的な努力、すなわち、肉的なものである事がよくあります。それは感情から来るものと絡まったものであり、純粋な聖霊の働きではありません。
私たちは神の霊の深さに入る事を否定して来ました。それは、聖書が全く言及されず、全てが御霊によるものであるような、極端なものではありません。或いは、聖書的になり過ぎて、儀式や律法主義的な考えに傾倒して、やたらと人々を非難してしまう事でもありません。神の霊の深さに入るとは、御霊と御言葉がバランスを保ちながら共に働き、深みをもたらすという事です。
*ジョン・レイクは、かつて彼の秘書だったエマ・ウィックが、御霊の中へ浸かる事なしに人々に異言を話させるコツを持っていた事を話していいました。しかしこれは、真の異言ではありません。
御霊との継続的な関係は、私たちを霊の領域のより深い所へ連れて行ってくれます。今日の神学は浅く広いものですが、本来はもう少し狭く、深い教えになっているべきです。そして、私たちは御霊の事柄をもっと掘り下げる必要があります。
異言は神との直接のコミュニケーション
1コリント 14:2「異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。誰も理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。」
異言は誰も理解できないというのが、パウロのポイントです。パウロは、主に教会での異言についてこの章で語っていますが、この節では個人的な異言の用法についても言及しています。そのコミュニケーションの動機となっているのは、私たちの中におられる神の御霊です。
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