知恵ある者を恥じ入らせる
異言は知恵ある者を恥じ入らせます。神は常に世の愚かなものを選び、知恵ある者を恥じ入らせます。
異言はおかしな言葉として人の耳に聞こえるかもしれませんが、外国語もそのようなものです。言語のように聞こえないものもあったりします。しかし、それを話す人々とそれを理解する人々にとっては、それは明確なコミュニケーションの手段となるのです。
私たちがそれを理解できないのなら、私たちの方が無知なだけなのです。知らない間は奇妙に聞こえても、その言語を習得すれば、もはや奇妙に聞こえる事はありません。それが我々の問題の一つです。理解できない事を自動的に押しのけて、「それは意味をなさないので、真実ではない」と言うのです。しかし、神の霊は私たちよりも、もっと多くの事を知っておられるのです。
1コリント 14:23「ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来た時、あなた方は気が変になっていると言われる事にならないでしょうか。」
パウロは、「もしあなたが教会にいて、異言を話すだけで、初心者か未信者が入ってきたなら、彼らはそれを理解していないので気が狂っていると思うでしょう」と言いました。彼は異言で話す事自体が間違っているとは言わず、状況を考えて、秩序を保ちながらするように注意しました。
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