2022年9月24日土曜日

種々の異言 6

異言は知恵ある者を恥じ入らせる。神は常に世の愚かなものを選び、知恵ある者を恥じ入らせる。


異言はおかしな言葉として人の耳に聞こえるかもしれないが、外国語もそのようなものだ。言語のように聞こえないものもある。しかし、それを話す人々とそれを理解する人々にとっては、それは明確なコミュニケーションとなるのだ。あなたが理解できないのなら、あなたが無知なだけである。奇妙に聞こえても、その言語を習得すれば、もはや奇妙に聞こえる事はない。 

それが我々の問題の一つだ。理解できない事は、自動的に押しのけて、「それは意味をなさないので、真実ではない」と言う。しかし、神の霊はあなたよりも、もっと知っておられるのだ。


1コリント 14:23「ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来た時、あなた方は気が変になっていると言われる事にならないでしょうか。」

パウロはこう言ったのである。「もしあなたが教会にいて、異言を話すだけで、初心者か未信者が入ってきたなら、彼らはそれを理解していないので気が狂っていると思うでしょう。」彼は異言で話す事自体が間違っているとは言わず、状況を考えて、秩序を保ちながらするように注意した。

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