2023年1月2日月曜日

17 未知の事について祈る

信者が異言で祈るべき理由の一つは、知らない事についても、祈る事ができるからです。異言の祈りは、私たちが気づいていない事や、自分では決して祈ろうとは思わない事の為に祈る方法を提供します。これが、異言で祈る事が最も重要な祈りの方法の一つである理由です。私たちは何を祈ればいいのか分からないとあります(ローマ 8:26)。従って、私たちの生まれつきの知性が知るよしもない人々や状況に関して、神の完全な御心によって祈るのを助ける為に聖霊が必要です。


1コリント 14:15「それでは、どうすればよいのでしょう。私は霊で祈り、知性でも祈りましょう。霊で賛美し、知性でも賛美しましょう。」


この聖句には2つの用途があると思います。まず、それは文字通り「私は霊で祈り、知性でも祈る」という事です。異言で祈ったり歌ったりする時、あなたが言う全ての意味を知る必要はありませんが、必要に応じて、聖霊はあなたが異言で言った事を解き明かしして下さいます。私は過去に異言で祈った時によく解釈を受けましたが、いつもそうであるとは限りません。何度も異言で長々と祈りましたが、自分が何を祈ったのかは全く知りませんでした。それはイザヤ28:11-12の休息の事です。時には、休息の異言であるので、解き明かす必要はなく、ただ神に委ねていれば良いのです。しかし、御霊によって祈るとき、聖霊が解釈を与えて下さる時もあるので、何について祈ったかを知る事ができます。


1967年、妻と私はカリフォルニアで集会を開いていました。ある夜、ぐっすり眠っていると突然目が覚め、ベッドに座っていました。まるで誰かが私の肋骨をつついたかのようでした。すると誰かが入ってきたような音がしました。ドアを確認しましたが、全て閉まっていて施錠されていました。誰も入ってきませんでした。私は妻の邪魔をしたくなかったので、横になって祈りました。私は霊的なアンテナを伸ばしました。私の霊において、神に手を差し伸べ始めたという事です。その間、私は主に尋ね続けました。私は自分の中に重さを感じました。すると、啓示が来ました。私は尋ねました。「主よ、これは何ですか?」霊の領域に少し足を踏み入れると、それが私の親族の誰かに関係している事に気づきました。私は言いました。「それは私の親族の一人です。彼の命は危険にさらされています。彼は死にかけています。主よ、それは誰ですか?」その部分が分からなかったので、「聖霊様、誰の命が危険にさらされているか分かりませんが、あなたはご存知です。


親族の一人一人の為に、知性で祈る事はできますが、あなたが言葉を与え、私が祈るのを助けて下さる事を期待しています。」それで、スミス・ウィグルスワースがかつて「私は肉で始まり、霊で終わりました」と言ったように、私は異言で祈り始めました。つまり、私は御霊の導きなしで異言で祈り始めたのです。ベッドに横たわっていた私から、すぐに異言が流れ出しました。この間ずっと、隣で寝ていた妻の邪魔をする事はありませんでした。異言で1時間半祈ったに違いありません。私は終わりまで祈り続けました。祈り終えた事をどのようにして知るかというと、重苦しさが和らぎ、霊の内に勝利の気配を感じる時です。御霊の中で笑うか歌うかのどちらかです。あなたの霊が勝利を感じる所までたどり着けないのなら、異言で十分長く祈っていないのかもしれません!私はとても静かに独り言を歌い、御霊の中で笑い始めました。それが何であれ、それが誰であろうと、私は答えを得たと思いました。その人は大丈夫だと思って、私は寝ました。その夜にあった事は頻繁には起こりませんでした。


眠りについた時、霊的な夢を見ました。夢の中で神様が話しかけてくる事もあります。この夢から覚めた瞬間、私はそれが何を意味するのかを正確に理解しました。霊的な夢だと思っても、それが何を意味するのか分からない場合は、忘れて下さい。神はその夢を通してあなたに話しかけたのではありません。頭から何か意味を考え出そうとしないで下さい。これは多くの人が犯す過ちであり、その結果、彼らは神との歩みを逸れてしまいます。夢の中で私はホテルの向かいに立っていました。私は、神を知っていたが、交わりがなかった弟のピーターがそのホテルに滞在していて、夜間に病気になった事を知りました。それから私は弟が部屋にいるのを見ました。彼が電話を取り、ホテルのオペレーターに電話をかけようとしていて、それから彼は倒れてしました。夢の中でそこに立っていた時、救急車が見え、救急隊員が弟を病院に連れて行くのを見ました。それから私は病院の廊下に立って、ホールの向こう側の閉ざされたドアを見ていました。私はピーターがそのドアの後ろの部屋にいる事を知っていました。立っていると、医者が出て来て、ドアを閉めてから私の所へ来ました。医者は「彼は亡くなりました」と言いました。私は、「いいえ、先生。彼は亡くなっていません」と言いました。「分からないのですか?彼は死んだのです。」私は、「いいえ、死んでいません」と言いました。「何故そう言うのか?」医者は尋ねた。「イエスは彼が死んでないと私に言いました。」医者はドアを開けて言いました。「ここに来なさい。見せてあげます。」それで私たちは部屋に入りました。シーツが頭の上に引っ張られてベッドに横たわっている死体がそこにありました。医者はシーツを引き下げて、「見なさい」と私に言いました。ピーターを見下ろすと、彼は目を開けて数回まばたきをしました。医者は私を見ました。それから彼は私の弟を見て、「あなたは私が知らなかった事を知っていたに違いない」と言いました。それから目が覚めた時、私は弟の為に祈っていた事に気づきました。


その事は、4月に起きた事でした。7月に私たちは家に帰りました。そこへ、ピーターがやって来ました。しばらく話した後、ピーターは「皆がいない間に、私は死にそうになったんだ」と言いました。私は「ええ、知っています。あなたは夜中に病気になり、救急隊員が病院に連れて行きました。医者は、もうだめだと思っていましたよ」と言いました。「そうなんだ」と彼は言いました。「誰が話したの?」それから私は彼に、4月に起きた私の経験について話しました。ピーターは言いました。「まさにその通りの事が起きました。」神の御霊に感謝です。何年も前には、私は家族のほぼ全員の為にそうやって祈っていました。しばらくすると、神は彼らが自分自身の信仰によって歩むように促されました。また、聖霊が事前に祈るよう警告してくれなければ、私の家族の一人に危機が起こる事はありませんでした。それから、私が祈りたいという促しに委ねると、神は私が何について祈っているかを異言で知らせてくれました。


聖徒の為に御霊によって祈る


御霊には命があり、御霊には祈りの領域があります。全ての聖徒の為の権威と嘆願の領域の事で、大半のクリスチャンは知らず、少し触れた人がいるだけです。私たちが神の命令を果たす事ができるのは、この御霊の領域においてだけです。


エペソ 6:18「あらゆる祈りと願いによって、どんな時にも御霊によって祈りなさい。その為に、目を覚ましていて、全ての聖徒の為に、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」


私たちは全ての聖人を知っているわけではないので、御霊によって祈らなければ、全ての聖人の為に祈る事はできません。ある出来事が何年か前にありました。それは、私たちが祈り会を持った時の事でした。ある日、御言葉を教えていると、突然、緊急に祈らなければならない重荷に襲われました。しかし、何について祈ればいいのか分かりませんでした。私は「主よ。何でしょうか?」と尋ねました。その時、誰かの命が危険にさらされている事に気づきました。病気やわずらいの為ではなく、ある事故の為に、誰かが死にかけていました。私は会衆に、「皆さん、私は祈らなければいけません。今です。一緒にお祈り下さい。誰か分かりませんが、誰かの命が危険にさらされています。」私はひざまずいて祈り始めました。45分間、力強く、早くうめきながら異言で祈りました。それから、私が祈り終わった事を知らせる勝利のしるしがありました。私は歌い、霊で歌いました。祈りの重荷は引き上げられました。私は言いました。「誰だか分かりません。時々、聖霊は私が祈っている人を見せてくれます。今回はそうしませんでした。でもそれが誰であれ、私は答えを得ました。神に栄光がありますように。」 


その夜、私は教会の数人を私の家へ招待しました。ある事について話す為でした。すると突然電話が鳴り、妻が応答しました。ある女性から、祈ってくれるようにとの事でした。その祈りのリクエストは、ある事故についてのもので、彼女の親戚の為の祈りでした。後で分かった事ですが、その事故が起こったちょうどその時、私は危険にさらされている誰かの為に御霊で祈る重荷を負ったのでした。その事故で17人が巻き込まれたとの事ですが、負傷者の数は分かりませんでした。私は妻に、「私たちは既に答えを得ていると彼女に伝えて下さい。彼女の叔父は大丈夫です。今日の午後、神の御霊が私たちに祈るよう警告して下さいました。私たちがそれについて祈り、彼が無事である事を彼女に伝えて下さい。」


どうしてその人が無事であるか分かったかというと、私が何が起こったのかを聞くやいなや、聖霊は内なる確信を通して私に知らせて下さったからです。それから、私たちが寝ようとした時、午前1時30分でしたが、電話が鳴りました。同じ女性からでした。その事故で、誰もけが人が出なかったという知らせでした。一人一人の命が助かり、彼女の叔父も無事でした!神に感謝します。聖霊は私たちが何を祈るべきかをご存知であり、未知のものの為に祈るのを助けて下さいます!御霊には距離がありません。聖霊は、どこでも、誰についてでも祈るのを助けてくれます!


神は祈る人を探しておられる


聖霊は、異言で特定の必要や状況について祈るようにあなたに警告する事がよくあります。しかし、あなたが神に身を委ね、御霊の領域に入ると、神はあなたに祈るべき他のものを与えてくれるかもしれません。ある時、私は知り合いの牧師について祈りました。私が知っている牧師の顔が私の前に現れ続けたのです。彼は、1,200マイル離れた所に住んでいました。その瞬間、私は彼の為に祈っていたと思いました。異言で祈っていると、自分が英語で何度も何度も言っているのが聞こえました。「まだ去ってはいけない。もう少し留まれ。」それから私はすぐに異言の祈りに戻りました。この牧師は自分の教会を離れる事を考えているのだろうと思いました。しかし、私はその状況については何も知りませんでした。数日後、この牧師と電話で話しているスタッフのオフィスにたまたま行きました。私は、「電話を切る前に、彼と話させて下さい」と言いました。私は電話に出て、この牧師に言いました。「これがあなたにとって意味があるかどうかは分かりません。意味がない場合は、忘れて下さい。」誰かが言ったという事で、決して「主からの言葉」を受け入れないで下さい。人は間違いを犯すからです。聖霊は完全ですが、不完全な人を通して現します。私は続けて、「先日、御霊の中で祈っていたら、あなたの顔がずっと私の前に出てきました。すると、私の口から単語が幾つか出てきました。まだ去るな。もう少し滞在しなさい。」その牧師は、「その事について、祈ります」と言いました。後になって、この牧師がその教会に更に3か月滞在した事を知りました。彼は再び取締役会と会合し、取締役会のメンバーは彼の辞任を遅らせる事に同意したのです。 その後、ある集会でこの牧師が私の所に来て、こう言いました。「聖霊を神に感謝します!辞任して取締役会に退職を告げた時、私は2週間以内に退職する事になっていました。しかし、私はお金もなく、私の妻にどこに行くかも分からないと言いました。


しかし、次の3ヶ月留まった事によって、次に教会を出ようとするまでには、$3,000も貯金する事ができました」私は答えました。「良かったですね!」私は、「まだ去るな。もう少し滞在しなさい」の言葉が分かりませんでしたが、聖霊は知っていました。御霊は、その牧師の益の為に、私が知らなかった事について祈るように私を促しました。何について祈るべきか、どのように祈るべきかを頭の中で理解しようとするかもしれませんが、決してそれはできません!神に感謝します、聖霊はあらゆる状況に関する神の完全な御心を知っています。あなたが神に委ねて異言で祈る時、神はあなたを用いて、特定の状況や人々の生活に神の御心をもたらすでしょう。


伝道先での解放


ずっと何年も前に、宣教師の友人が証しを分かち合いました。彼と彼の奥さんはアフリカへの宣教師でした。もちろん、当時は現在のような迅速なコミュニケーション手段はありませんでした。アメリカにいる彼らの両親が彼らから手紙を受け取るのに一ヶ月かかったのでした。その奥さんの両親は、聖霊派の人々でした。ある日、このお父さんがいつものように夜明けに起き、牛の乳搾りをしに牛舎へと向うと、何かがおかしいという強い印象を彼の霊の内に受けました。どういうわけか、この人は、それが彼の娘についてである事を知りました。彼の妻は朝食を作ろうとしていた所でした。彼は妻に、自分たちの娘の命が危険におかされている事を話しました。「彼女の生命は危険にさらされています。私たちは祈らなければなりません!」「どうして分かるの?」彼の妻が尋ねました。「分からない。でも、彼女が危険なんだ。私の内でそれが分かるんだ。」それは、この男性に未知のものについて何かを知らせる神の御霊でした!それで、二人はキッチンで祈り始め、彼は言いました。「私たちは何を祈るべきか分かりませんが、聖霊よ、あなたはそうして下さいます。ですから、私たちの娘の為に執り成しをするのを手伝って下さい。」


それから彼らは異言で祈り始めました。それは朝の5時半くらいのことでした。何時間も経ち、正午が過ぎました。それでもなお、二人は、娘のために異言で祈り続けました。その後、午後2時頃、夫の方が笑い始め、異言で歌い始めました。彼は妻に言いました。「私たちの娘は大丈夫だ」このように祈り始めたら、勝利のしるしを得るまで祈り続けて下さい。あなたが祈っているものが何であれ、あなたはあなたの霊でその答えを知るでしょう。そして、笑いたい、礼拝したい、異言で歌いたいという衝動にかられるでしょう。そうなると、あなたは祈りきって重荷を下ろした事が分かります。それから、その娘の両親が義理の息子から手紙を受け取ったのは、5週間後の事でした。宣教師であるその義理の息子は、その手紙の中で、次のように説明しました。「数週間前、あなたの娘はここでよく見られる致命的な熱病の1つに感染しました。人々は、彼女の治療法はないと私たちに言いました。」この事が起きた時、アフリカのこの地域の医療行為は非常に原始的でした。当時、アフリカで、人がこのひどい熱に感染すると、その人は死亡したのです。義理の息子は次のように書いています。「彼女は死の淵に沈みました。実際、私たちが知る限り、彼女は亡くなったと思いました。私たちは彼女に命を見る事ができませんでした。しかし、突然、元気になって立ち上がったのです。」


両親は返事を書き、「娘が元気に起きたのはいつの、何曜日ですか?」と尋ねました。彼らは、なぜ尋ねているのかを話しませんでした。返信の手紙を受け取った時、彼らはメモと彼らの娘の為に祈った日時を比較しました。二人は、彼女が死にそうになった時間は、まさに彼らが彼女の為に祈っていた時間だったと分かりました。時間帯の違いを考えてみると、娘がアフリカで癒されて起き上がった瞬間、つまり父親が御霊によって笑い、異言を歌っているのと同じ瞬間である事が分かりました。この二人は、聖霊によって祈る事についてよく知っていました!何年にもわたって、ペンテコステ派の出版物で、私が今述べたものと同様の多くの証言を読みました。外国にいる宣教者たちは危機に瀕していましたが、家の誰かが、異言で祈りたいという突然の衝動に従いました。その結果、宣教師が引き渡されました。多くの場合、祈った人は宣教師を知らなかったのです。しかし、聖霊は知っておられました!


私は、あるアフリカに派遣された英国人宣教師が癌を発症したという記事を読みました。この宣教師は、その地域でペンテコステ派のメッセージを開拓した年配の男性でした。彼の同僚は、彼の手術の為に南アフリカの近代的な病院に搬送しました。しかし、医者が彼を開いた時、癌は彼の体の至る所に広がっていたので、彼らは彼を縫って元に戻し、手術を中止しました。ケースは絶望的でした。男は死にかけていました。それについて医師ができる事は何もありませんでした。しかしこの頃、数千マイル離れたオーストラリアのある女性が、イギリスからの宣教師として掲載されていたこの男性の写真を、ペンテコステ派の出版物で目にしました。突然、この年配の女性は、祈るという大きな負担を感じ、夜の大部分を異言で祈る事に費やしました。そして神はビジョンの中で、この女性が何について祈っていたのかを示しました。彼女はこの男が病気でベッドに横たわっているのを見ました。彼女は彼が誰であるかを知っており、彼が癌である事も知っていました。ビジョンの中で、彼女は彼が元気に立ち上がるのを見ました。時が経って、この宣教師はこの女性が住んでいた都市のゲストスピーカーとして来ました。彼女は集会に出席し、礼拝の後に、自分の祈りの経験を宣教師に話しました。日付を比較し、時差を考慮した後、宣教師は彼女にこう言いました。「その瞬間、私は病院のベッドで死にかけていました。手術後、医者は私を見捨てました。私はあまりにも遠く離れていて、自分では何もできませんでした」しかし、突然、元気に起き上がりました!医師たちは考えられるあらゆる種類の検査を行ったのですが、がんの痕跡は全て消えていたのです!」


もう二つ証しをお分かちしたいと思います。ボーリー兄弟というアフリカの宣教師の体験した話です。当時私は、まだ若い牧師でしたが、ボーリー兄弟がこの2つの経験について語った集会に出席しました。ある時、対立する敵対的な部族が、ボーリー兄弟が説教していた村から6歳の少女を盗み、ほぼ全員が救われたという事がありました。ボーリー兄弟は言いました。「夜が明ける前に少女を取り戻さなければ、彼女は決して回復しない事を経験から知っていました」この2つの部族は異なる方言を話していたので、ボーリー兄弟は、彼らの方言を話せる先住民の1人であるクリスチャンを連れて、対立する部族の村に向かいました。ボーリーは首長と物々交換し、子供をビーズや装身具と交換することを望んでいました。二人が村に着く何マイルも前に、彼らは腐敗した腐った肉のにおいに気づきました。


この特定の部族は、3人か4人の女性を選び、動物を準備して調理し、村のすぐ外の柱に吊るしました。動物は何日も何週間もそこにぶら下がり、太陽の下で腐っていました。村に来た人は皆、死んだつもりで食べなければなりませんでした。ボーリー兄弟とその仲間もそうでした。ボーリー兄弟はこう言いました。「あなたは自分が神を信じていると思うかもしれませんが、実際に神を信じているかどうかは、伝道地の極端な場所に行くと分かります!この場合、私たち一人一人がその腐った大きな肉の塊を切り落として食べなければなりませんでした。しかし、ありがたい事に、それは私たちに影響を与える事はありませんでした!」ボーリー兄弟と彼の仲間はついに首長にたどり着き、たくさんの装身具とビーズを少女と交換しました。しかし、その時点で夜が来て、夜の密林を移動できなかった事が問題でした。二人の男は、村の「客間」に案内されました。原始的なかやぶき屋根の小屋です。闇が落ち、固い地面に横になって眠るしかありませんでした。数時間後、真夜中近くになると、彼らは太鼓の音で目が覚めました。ボーリー兄弟は仲間に「あの太鼓の音はどういう意味ですか?」と尋ねました。


彼のネイティブの仲間は、「それは彼らが私たちに下した死刑判決です。族長は既に私たちの装身具を手に入れている事に気づき、私たちを殺して女の子を引き留める事を考えたのでした。太鼓の音は、部族が来て私たちを殺すつもりである事を示しています。彼らはナイフを持ってやって来て、一切れで私たちの頭を切り落とす事ができます!」と答えました。ボリー兄弟と現地の通訳者は、かやぶき屋根の小屋の外で近づいてくる敵のざわめきを聞きました。ボリー兄弟は、『ひざまずいて、神の手に委ねましょう。そうすれば、彼らが入って来て私たちを捕まえるのを待つ事はありません。まずは出ましょう。私が先導します。』と言い、祈りを終えて目を閉じ、小屋を出ました。ほんの数秒かもしれませんが、私は長い間小屋の前に立っていました。突然、誰も頭を切り落としていないことに気づきました!これらの戦士の何かを言う音が聞こえたので、目を開けて、私を取り囲む部族の戦士の輪を見回しました。彼らは皆、ひざまずいて顔を地面に伏せ、ナイフを横に置いていたのです!ちょうどその時、通訳が小屋から出てきました。彼らは私を神として崇拝していました。」ボーリー兄弟は通訳に何が起きたのか調べてくれるように頼みました。村の戦士たちは通訳にこう言いました。「この外国人が小屋から出て来た時、輝く白い衣服を着た、身長2.7メートルで巨大な剣を持った男二人が彼の両側から出てきました!」それで、戦士たちは宣教師の前にひれ伏し、彼を崇拝し続けたのです。ボーリー兄弟は少女を取り戻し、家に連れ帰り、無事に両親と部族に返しました。


2週間後、ボーリー兄弟は別の伝道の旅を計画していましたが、伝道所のスタッフが不足している事に気づきました。誰かが彼に言いました。「伝道所に若い女性がいます。私は彼女の様子を数週間ごとにチェックしていますが、彼女はいつも元気にやっているようです。」そこでボーリー兄弟は、伝道所を一人で運営しているこの若い女性に会いに行きました。彼がそこにいる間、彼女は彼に尋ねました。「ボーリー兄弟、月曜日の夜の真夜中頃に何かあったんですか?命が危なかったのですか?」「どうしてそう聞くのですか?」「私はここで 1日12時間ほど働きます。ある夜、私はとても疲れていて、就寝後すぐに眠りについたのですが、夜10時30分、私は祈りの重荷を背負って目覚めました。それで私はベッドから起き上がり、ひざまずいて、異言で祈り始めました。」女性は10時30分から真夜中まで祈り続けました。彼女は言いました。「私が祈っている間、あなたの顔が私の前で点滅し続けているように見えました。それから私は勝利のしるしを得て、異言で歌い、聖霊によって笑い始めました。」ボーリー兄弟は言いました。「姉妹、あなたが笑い始めたのはちょうど、敵対的な戦士のグループに会う為、私がかやぶき屋根の小屋から出た時です。彼らは私に対する攻撃は、私のそばにいた巨人によって止められました。」ここに真剣に考えるべき問題があります。もしこの若い女性が聖霊の祈りの導きに委ねていなかったらどうなっていたでしょうか?


ボーリー兄弟はもう1つ驚くべき証しをしました。アフリカの西海岸沖に島があり、その島の住民はまだイエスの事を聞いた事がない人達でした。そこでボーリー兄弟は地元の帆船を借り、乗組員を乗せ、御霊に満ちた地元の通訳を毎週島に連れて行き、福音を説き人々に仕えました。それから、ある月曜日の午後遅く、ボーリー兄弟とその仲間たちが島への毎週の訪問を終えて本土に戻っていた時、突然の嵐が起こりました。彼らのボートにはライトも航海計器もなかったので、彼らは暗くなる前に家に帰ろうとしていました。時が経ち、嵐は夜の黒い闇の中で荒れ狂い続けました。ついに真夜中ごろ、船長はボーリー兄弟に、「入港しなければならない港が、どこにあるのか分かりません。港内に安全な狭いスペースが1つだけあります。残りはサンゴ礁の為非常に危険です。逃げれば、岩の上で粉々に砕かれ、このまま海にいたら沈んでしまい、みんなの命は確実に失われてしまいます」 と言いました。ボーリー兄弟は、「ナビゲーションについては何も知りません。あなたは船長です。私たちは何をすべきだと思いますか?」尋ねました。船長は、「私たちの唯一のチャンスは、それを実行しようとする事です」と答えました。ボーリー兄弟は、「そうする前に祈りましょう」と言いました。


船長と乗組員はクリスチャンではありませんでしたが、人々が死に直面すると、誰もが急いで敬虔になります!それで彼らは皆、ボーリー兄弟と通訳と共にひざまずき、自​​分たちの命を神の手に委ねました。それからボーリー兄弟は立ち上がって、「ボートを放しなさい!」と言いました。船長がそのヨットを港に向けて離した瞬間、飛行機のように空中に離陸し、サンゴ礁の上を航行し、水が穏やかで平和な港に着陸したのです!もちろん、彼らの奇跡的な救出をめぐって、その船の中では大きな喜びがありました。数日後,ボーリー兄弟は自分が監督していた伝道所の一つを訪問しました。この時、別の一人の女性がこの伝道所に一人で滞在していました。ボーリー兄弟の訪問中に、その女性は彼に尋ねました。「ボーリー兄弟、先週の月曜日の夜、特にあなたに何か起こりましたか?」ボーリー兄弟は尋ねました。「どういう事ですか?」彼女は言いました。「私はその夜早く寝て、数時間眠っていました。10時頃、私は突然目が覚め、ベッドで起き上がりました。主に何があったのか聞きました。そして、祈り始めました。しかし、私はとても疲れていたので、何度も眠りについてしまいました。それで私はベッドから起き上がり、膝をついて私は祈りました。『主よ、それが何か分かりません。しかし、それが何であれ、聖霊は知っています。私は御霊が私を助けてくれる事を信頼します。それで私は異言で祈り始め、聖霊が私を助け始めました。10時から真夜中まで異言で祈りました。何について祈っているのか、誰の為に祈っているのか分かりませんでした。しかし、その時の終わりに、それが何であれ、その重荷が取り除かれ、軽さを感じたので、私は勝利を手にした事を知りました。その時、あなたの顔が私の前にひらめいたので、私はあなたの為に祈っているのではないかと思いました。先週の月曜日の夜、真夜中に何かありましたか?」「姉妹、月曜日の夜の真夜中は、私たちが奇跡的にある死の体験から解放された、まさにその瞬間でした!」ボリー兄弟は叫びました。その宣教師の女性が笑って、御霊によって神を賛美している間、その帆船はちょうど離陸し、サンゴ礁のすぐ上を航行し、全員が無事に乗船して港に着陸したのです!


では、このような超自然的な証言がもっと起こらないのは何故でしょうか?理由は、異言で祈る人が少ないからです。彼らは、神との基本的な交わりを維持する為に、異言で少し祈るかもしれません。しかし、彼らは神の臨在の中で、1時間か2時間、あるいはそれ以上の長い時間は待ちません。その時、どうしても祈らなければならない事柄について、聖霊が彼らと共に祈る事ができます。聖霊が、祈りで用いる事ができる人を探し続けている事は間違いありません。神は、喜んで神に委ね、必要な限り異言で祈る信者を見つけると、彼らと手を取り合い、彼らがしばしば何も知らない事柄について神の完全な御心を祈るのを助けます。私は今お話ししたような報告を他にもたくさん読んできましたし、多くの宣教師が、誰かが御霊によって祈った結果、超自然的に解放されたという証しを個人的に聞いた事があります。それでも、聖霊に満たされたクリスチャンの大多数は、この種の祈りの深い効果をまだ認識していないでしょう。もし祈っていたなら、彼らはそれをもっとやっていたでしょう。


聖霊は、私たちが何を祈るべきかをご存知ですが、私たちはそうではありません。 しかし、私たちは重荷得ても異言で祈らずに、日々の仕事をそのまま続けてしまう事がよくあります。何について祈っているのか分からなくても、もっと聖霊に委ね、他の言語で祈る事ができるようになれば、私たち自身の生活にもっと多くの勝利が見られるでしょう。私たちはまた、私たちが祈る人々の生活の中で、更に多くの劇的な解放を見るでしょう。聖霊が私たちの祈りの生活を助けて下さる事は、助け主としての最も大きな役割の一つです。もちろん、御霊は人生のあらゆる領域で私たちを助けて下さいます。しかし、最も実りが多く、最も際立っていて、最も奇跡的な分野の一つは、私たちの普通の知性では知る事がないものに対して、神の完全な御心に沿って祈る事です。


18 霊の領域 へ続く

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