2023年3月2日木曜日

11 霊的成長の手段

パウロは、コリントの教会や、彼が説教した他の教会への手紙の中で、異言で祈るよう勧めました。パウロは、このように祈る事が重要である理由は、異言が霊的な成長の為の神聖な手段だと言っています。


1コリント 14:4「異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。」


パウロは、コリントの信者たちに、霊的な成長の手段として、個人的な礼拝や祈りの生活の中で、異言で話す事を続けるように勧めていたのです。ギリシャの学者によると、「成長」というギリシャ語の意味は「充電」に近いという事です。「充電」という言葉は、バッテリーに関連してよく使用されます。従って、1コリント 14:4を次のように言い換える事ができます。「異言で話す者は、自分自身を築き上げ、電池のように自分自身を充電します。」つまり、私たちが異言で祈る時、私たちは聖霊の力によって私たち自身を充電しているのです!


この「成長」という言葉は、霊的な事柄に関して、我々が熟知し、真理の言葉を体験して行くという意味で、超自然的な手段についての事です。もちろん、人を霊的に成長させるもの、築き上げるものは、精神的、肉体的に対しても良い助けになります。パウロは、異言で話す事が信者を神の力で充電し、強めるという事実について理解していました。


1コリント 14:18「私は、あなた方の誰よりも多くの異言で語っている事を、神に感謝しています。」


パウロは、「私は、あなた方よりも異言を話す事によって、自分自身を築き上げ、電池のように充電しているのだ!」と言ったのです。


ユダ 1:20「しかし、愛する者たち。あなた方は自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。」


あなたが霊的な歩みの内から出てしまうと、バッテリーが切れた状態になります。この聖句はそれを充電する方法を教えてくれます。聖霊によって祈るのです。「自分自身を築き上げる」という言葉に注目して下さい。異言は、あなたの為に働く霊的な成長の手段なのです!ユダは「聖霊によって祈れば信仰が得られる」とは言っていない事に注意して下さい。信仰は聞く事によってもたらされ、聞く事はキリストについての言葉によってもたらされます(ローマ10:17)。しかし、異言で祈る事は、あなたの最も聖い信仰の上に築き上げます。ですから、異言で話す事は、主にあなた自身の個人的、霊的な成長の為です。それはあなたを築き上げ、あなたを強化するので、あなたに益をもたらします。


スミス・ウィグルスワースは英国の説教者で、あらゆる所で聖霊の素晴らしい働きを経験しました。ウィグルワースのミニストリーでは驚くべき事が起こりました。例えば、イギリスの聖霊派の年配の牧師は、この偉大な神の人の働きの下で、多くの人が死からよみがえった事を私に語った事があります。ウィグルスワースは、わずか六歳の時に、かぶを引く仕事に就きました。その後、児童労働法が制定される前の時代に、彼は工場で働いていました。彼は大人になってから、誰かが彼に自分の名前を署名する方法を教わったのでした!ウィグルワースは、御霊に満たされて異言を話すまで、人生で一度も本を読んだ事がありませんでした。それから聖霊は彼に聖書を読むように教えました。スタンリー・ハワード・フロッドシャムは、ウィグルスワースの伝記の中で次のように書いています。「異言の賜物は彼にとってかけがえのない宝物であり、彼は毎日何度も神への愛と敬愛の念に駆られました。地上の汚れた言語ではなく、神が恵み深く与えた聖霊によって与えられた愛の言語でした。彼は、この異言で話す事が常に霊的な成長の源である事を発見しました。彼は、「しかし、愛する者たち。あなた方は自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい」という御言葉を実践して歩みました。


自分自身が成長されていない限り、人々を成長させる事はできません。しかし、霊的に築き上げられたら、他の人を助ける事ができます。ウィグルスワースのような人々の成功を体験したいと思っている人は多くいますが、彼らは神の偉大な人々が払った代償を払いとは思っていません。彼らは手っ取り早い、ファーストフードのような解決を求めています。でも神様は「即席のもの」を扱ってはいません!神はいつもと同じように、神の言葉で述べた真実に従って働きます。それらの真理の一つは、1コリント 14:4とユダ 1:20に見られます。神は私たちに、霊的な成長の為の神聖で超自然的な手段を与えて下さいました。聖霊によって毎日多く祈る事によって、最も聖なる信仰の上に自分自身を築き上げるのは、私たち次第です。


自身を充電する


「成長」という言葉には「バッテリーのように自分自身を充電する」という意味があると初めて読んだ時、私は以前、自分がしている事をよく理解せずに祈っていた事に気づきました。そうする事が正しいと分かっていただけでした。しかし、振り返ってみると、最も素晴らしい癒し、最も超自然的な経済的奇跡、または悪魔を追い出す最も素晴らしい経験の前には、私はいつも時間を取って異言で祈るように導かれている感じがしました。主はあなたの前に何があるかを知っています。あなたはそこに何があるか分かりませんが、主は知っているのです。


私は、1950年3月に、妻と私がミズーリ州にある小さな教会の牧師だった時の事を覚えています。妻と私はその日、日曜日の礼拝の準備をする事以外、何も計画していませんでした。いつものように、妻がベッドを直して寝室の掃除をしている間、私は別の部屋の掃除をしていました。


その日の朝、いつもの雑用をしていると、どういうわけか、異言で話す事から逃れる事ができませんでした。大声では祈りませんでしたが、立って掃除をしながら、異言で静かに祈っていました。それから私は隣の教会に行って、全てが整っている事を確認しました。その頃、人々はボランティアで教会を掃除していました。時々、彼らはきちんと仕事をしなかったので、私は全てをチェックし、きちんと掃除する為に行きました。そうしている間、私は異言で祈り続けました。教会が日曜礼拝の準備ができている事に満足した後、私は教会にさらに1時間留まりました。私は異言で祈りながら、教会の通路を行ったり来たりしました。私は祭壇にひざまずき、異言で祈りました。私は異言で祈る時間を割く為に、意図的にいつもより長く教会に留まりました。それから郵便局に郵便物を取りに行きました。暖かい日だったので、静かに異言で祈りながら、公園を通って郵便局まで歩く事にしました。郵便局で荷物を取ろうと待っている間もずっと小声で異言で祈り続けました。それが異言で祈る事の素晴らしい点です。他の人の周りにいれば、大声で祈る必要は全くありません。どんなに静かに主に話しかけても、主はあなたの言う事を聞いて下さいます。私は郵便物を受け取って、それから牧師館に戻るまでもずっと、私は異言で祈り続けました。朝の9時から午後2時まで、私は異言で祈っていました。私はしなければならない事をしながら祈っていました。異言で祈れば祈るほど、何か強いものを内に感じました。当時、私は異言の目的についてよく知りませんでしたが、自分自身を築き上げている事を感じました。私は霊的なバッテリーを充電していたのです。私は自分に言い聞かせました。「明日の礼拝に向けて、神様が準備を整えて下さっているに違いない。日曜日は本当に素晴らしい集会になるだろう。」しかし、その日の午後3時30分頃、妻と私には予期せぬ訪問者がありました。


ある女性が妹を家に連れて来ました。この二人には、もう一人の女性も同行していました。この姉妹は近くの精神病院の受刑者でした。彼女は独房に3年半も監禁されていましたが、それは彼女が自殺しようとした為であり、彼女は自分自身や他の人にとって危険であると考えられていたのです。この可哀想な女性は、3年以上の間、独房に閉じ込められていました。彼女の健康状態が悪化するまでは、運動も日光もありませんでした。その為、機関の当局は彼女の母親と父親に手紙を書きました。「あなたの娘さんが数週間の一時、帰宅するのは良い事だと思います。彼女は、もはや精神的に不安定ではありませんが、依然として危険で常に施設でのケアが必要です。しかし、私たちは助けが不足しています。日光と新鮮な空気の為に、彼女を外に連れ出すのに必要なスタッフがいません。数週間、彼女をあなたの家に連れて行ってくれませんか?彼女をよく見て下さい。ただし、公園に行って下さい。彼女を一日中日差しの中に置かないで下さい。環境の変化によって食欲が改善されなければ、彼女は長く生きられないので、彼女と一緒に歩く為に最善を尽くし、彼女に運動をさせて下さい。」


それで、この女性は施設に行き、その妹を迎えに行き、家に連れて帰りました。数日後、その女性は妹を私たちの牧師館に連れて来ました。私は今まで悪霊に強く影響された人に対処した事がありませんでした。


私のミニストリーで人々は癒されましたが、私はこの種の状況にどう対処したらよいか分かりませんでした。もちろん、体の病気になるのと同じように、精神の病気になる可能性がある事は知っていました。その場合、私はその人が癒されるように祈って油を注ぐ事を知っていました。しかし一方で、悪霊が人の思考をつかむ事があるという事も知っていました。その場合、その悪霊を追い出さなければなりません。私は、その人を導く為に神の御霊に頼らなければならないと思いました。その日の午後、二人の女性と彼女の友人が私たちの所に来て、私たちは彼ら全員を招待しました。その婦人は妹に言いました。


「スミス夫妻です。これが私があなたに話した牧師です。」彼女が「スミス夫妻です...」と言った直後、正気でない妹の方は聖句を引用し始めました。蛇口から水が出るのと同じように、この女性の口から御言葉の全文が流れ出ました!私はどうすればいいのか分かりませんでした。そのような人の周りでは、どのように振る舞うべきだったのでしょう?それから私は口を開いて、間違った事を言ってしまいました。(口を開いて、間違った事を言った事のない人なら、最初に私に石を投げても結構です!)私は言いました。「そのように聖書を知っている人は、神を本当に知っているに違いありません。」女性は直ぐに手を伸ばして髪を引っ張り始めました。彼女の目は燃え、彼女が叫びながら言いました。「いや、いや、いや!私は神を知る事ができません。いいえ、いいえ。私は神を知る事ができません。赦しがたい罪を犯してしまったからです!」もう一人の女性は妹の肩をつかみ、揺さぶり、最後に顔を平手打ちしました。後でその女性は言いました。「私は嫌いでしたが、妹をその発作から解放する為に、医者が私にそうするように言ったのです。」


その後、その女性は落ち着き、居間の椅子に座らせる事ができました。そこに彼女は彫像のように座り、まばたきもせず、まっ直ぐ前を見つめて動く事はありませんでした。私たちは何か助けが必要だと気づいたので、私は彼女の妹に言いました。「あなたはここにいて下さい。妻と私はメアリー姉妹を連れてきます。」メアリー姉妹は私たちの教会の女性で、神と共に歩み、物事を変える方法を知っていました。それができる人は多くありませんが、彼女はできる人でした。妻と私はメアリー姉妹の家に行き、私は妻に言いました。「メアリー姉妹に、何故彼女が必要なのかを話して下さい。私は車の中で待っています。」そこに座って待っている間、私は新約聖書を取り出して少し読み、それから私は祈りました。「主よ、あなたに頼るしかありません。」当時の私たちは、悪霊に対する方法をあまり理解していなかったので、神に頼らなければならないと思っていました。しかし、神に感謝します。私たちの内に住んでいる聖霊は、私たちに来るべき事への備えをさせて下さいます。神がこれを行う一つの手段は、私たちが異言で祈る時です!それで私は主に祈りました。「この女性がただ癒しを必要としているだけなら、私は彼女に油を注ぎ、彼女に手を置いて、あなたが彼女を癒してくれる事を期待する事ができます。しかし、ここに悪霊が関わっているのなら、あなたは私がそれに対処するのを助けて下さらなければなりません。あなたが示して下さらなければ、どうしたらいいのか分かりません。」



妻はメアリー姉妹と一緒に車に戻り、私たち3人は牧師館に戻りました。正気を失った女は、居間の中央にあるまっ直ぐな椅子に座ったままでした。私の妻と私が去ってから、彼女は1インチも動きませんでした。彼女は彫像のようにそこに座って、まっ直ぐ前を見つめていました。私の妻、メアリー姉妹、正気でない女性の妹、そして二人の女性に付き添っていたもう一人の女性は皆、ひざまずきました。私は部屋の隅にひざまずき、皆で祈り始めました。私たちがかなりの時間祈った後、神の御霊が私に言いました。「彼女の前に立って、『出て行きなさい。汚れた霊よ。イエスの御名によって!』と言いなさい。」私は人生でそのような事をした事がありませんでした。私はそれについて、しばらく主と議論しましたが、最終的には従いました。私はその女性に近づき、彼女の前に立って言いました。「出てきなさい。汚れた霊よ。イエスの御名によって!」何も起こらなかったようでした。その女性は、以前と同じように精神的におかしいように見え、そのように行動していました。


しかし、私がそれらの言葉を言った時、神の力が私に来て、信仰の言葉を語った事を知っていました。月曜日の午後、精神的に不安定な女性と彼女の妹に同行していた別の女性が私たちの家に来て、動揺して言いました。「スミス兄妹、また祈って下さい!」私は「どうしてですか?」と尋ねました。「あの女性は、最初に正気を失った時と同じように、また発作を起こしています!」私は別の事を言おうと口を開いたのですが、驚いた事に、代わりに次の言葉が口から出ました。「それがどうかしましたか?イエスが悪霊に若者から離れるように言った時に何が起こったのか、聖書で読んだ事がありませんか?聖書は、霊が去る前に少年を投げ倒し、引きつけさせて出て行ったと言っています。」(マルコ 9:17-29)それから私は宣言しました。「それが彼女の最後の攻撃になるでしょう!私は土曜の午後、その悪霊を去らせる信仰の命令をしました。そして悪霊は、それに従わなければならないのです!」そして、まさにそれが起こりました!精神的におかしかった女性はその日、完全に解放されました。医師たちは全ての検査を行い、彼女の健康状態が良好である事を確認し、彼女を家に帰したのです!15年後、妻と私はある町で伝道していました。そこには、以前は正気ではなかったこの女性の姉妹が住んでいたので、一緒に昼食を食べる為に出かけました。私たちは、彼女の姉が過去15年間どのように暮らしてきたかを尋ねました。彼女は言いました。「妹は元気です!彼女の知性は完全に正常で、この15年間ずっとそうです。彼女は会社で働き、教会で日曜学校のクラスを教えており、神の為に燃えています!」


この話で言いたかった事は、聖霊はいつもより多めに異言で祈るよう私を促し、この精神疾患の女性との出会いの準備をさせてくれたという事です。当時の私には何が起こっているのか本当に理解できませんでした。しかし今振り返ってみると、御霊が来るべき事の為に私を準備していた事に気付きました。私が知らなかったとしても、聖霊は何が起こるかを知っていました。


御霊は、私が異言で祈る事が、私の成長を助けになる事を知っておられました!先に述べたように、神との歩みの中で私に起こった最大の出来事、最大の癒しの奇跡、大きな経済的な突破は、私が長い間異言で祈った後にもたらされました。私は御霊によって祈る特権を神に感謝します。私たちの最も聖い信仰の上に私たち自身を築き上げる、この超自然的な手段を神に感謝します!そうです。私たちは聖書を読む事によって築き上げられます。異言の祈りによっても助けられます。これは神が私たちの成長を促す為に与えて下さった方法の一つなのです!


内にある力を出す


異言の祈りは、私たちの魂と知性に対する成長にも効果的です。使徒パウロは次の聖書箇所で、御霊によって神の力によって強められる事について書いています。


エペソ 3:14-16「こういうわけで、私は膝をかがめて、天と地にある全ての家族の、『家族』という呼び名の元である御父の前に祈ります。どうか御父が、その栄光の豊かさに従って、内なる人に働く御霊により、力をもってあなた方を強めて下さいますように。」


パウロは、霊に満ちた信者に向けて手紙を書いている事に注目して下さい。エペソにいた信者たちについて、使徒行伝19章で既に読んだ事を思い出して下さい。パウロは彼らに言いました。「信じた時に聖霊を受けましたか?」(使徒 19:2)。6節では、「パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした」とあります。ですから、エペソのこれらの信者たちは、新しく生まれ、イエスの罪の赦しと聖霊のバプテスマも受けていました。それにも関わらず、パウロはエペソ 3:16で彼らの為に、神の霊によって強められるようにと祈ったのです。あなたが新生して聖霊のバプテスマを受けたからといっても、あなたが「頂点に辿り着いた」わけではなく、それ以上神との歩みに他に何も必要ないという事ではありません!あなたはまだ、神の霊と共に歩み、御霊によって励まされて、与えられた力を発揮する事を学ぶ必要があります。御言葉を知り、聖句を引用し、神の約束に沿って告白する必要があるのは事実です。これらは全て重要です。しかし、あなたはまた、神の霊の中の深みに入って、神の力にあって歩む必要があります。その為の一つの方法は、異言で祈る事です。敵はあなたの信仰とあなたの人生に対して攻撃する事を決して止めないので、神の力の出し方を学習する必要があるのです。


あなたが聖霊と共に歩む時、与えられた力を発揮して敵を撃退する事ができます!私たちの内におられる方は、この世にいる者よりも偉大(1ヨハネ 4:4)なのですが、私たちが持っている強力な内なる強さが発揮されるには、御霊と共に歩む事、霊的に成長して行く事が必要です。その為には、異言で多く祈る事が最も効果的なのです!


12 神の御心に沿って祈る へ続く

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