パウロが啓示を受けて、奥義を知ったのは異言で誰よりも祈ったから。個人的な成長に異言が関わるのは、啓示がもたらされる事により、自分自身を築き上げられるから。
異言によって、内にある神の力を充電して、発揮できるようになり、意図的に解放できるようになる。神の力は既に我々の内にあるが、その使用方法を学ぶ必要がある。聖霊が与えられたのは、あなたが異言で祈る事によって、神の力で充電して、自由に解放する為。
日常生活で疲れ果てた時や、忙し過ぎる時はいつでも、異言で祈るようにする。多くの奉仕者がバーンアウトするのは、異言で十分に祈ってないから。
異言で祈る事により、我々のミニストリー、すなわち、御霊によるミニストリーにおいて、より効率的で、より効果的になる。
異言で祈ると、生ける水の川があなたの中を流れ、休息と回復をもたらす。
御霊を待つのではなく、御霊は我々の内から流れ出なくてはならない。御霊は既に与えられたから。
「私の言葉は霊であり、命です」とイエスが言ったように、聖霊が我々の口から出る。
川が複数形。御霊が様々な形で口から出る。あなたの通常の言語や、異言で出て来る。御霊は様々な方法で、我々から出たいと願っている。
ヨハネ 7:39「イエスは、ご自分を信じる者が受ける事になる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」
イエスが栄光を受け、ペンテコステの日に御霊は来られた。イエスが来られた理由は、御霊が我々の内に留まる事ができるようにする為。御霊が我々の中に留まるようになった理由は、御霊が我々から出て、様々な形で力を発揮する為。
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