2022年9月9日金曜日

種々の異言 16

個人的成長


ユダ 1:19-21「この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊を持っていません。しかし、愛する者たち。御霊によって祈る事で自分の最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、神の愛の内に自分自身を保ち、永遠の命に導く、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。」


「御霊をもっていない」とは、魂的、生まれつきの考えや感情的である事を示しています。


パウロが啓示を受けて奥義を知ったのは、異言で誰よりも祈ったからです。個人的な成長に異言が関わるのは、神からの啓示がもたらされるからです。それによって、私たちは自分自身を築き上げられます。


異言によって、私たちの内にある神の力を私たちの魂に充電して、発揮できるようになります。そうすると、意図的に神の力を解放できるようになります。神の力は既に私たちの内にありますが、その使用方法を学ぶ必要があります。聖霊が私たちに与えられたのは、私たちが異言で祈る事によって、神の力を魂に充電し、自由にそれを解放して、地上を治める為だと言えます。


「神の奉仕者であると主張する人は誰でも、必要に応じて、意のままに神の御霊を現す事ができなければならない。」ジョン・G・レイク


日常生活で疲れ果てた時や、忙し過ぎる時はいつでも、異言で祈るようにすると良いでしょう。多くの奉仕者が疲れ切ってしまうのは、異言で十分に祈ってないからです。異言で祈ると、生ける水の川が私たちの中を流れ、休息と回復をもたらします。


異言で祈る事により、御霊によるミニストリーが、より効率的で、より効果的になるでしょう。


御霊を待つというよりも、御霊が私たちの内から流れ出なくてはならないのです。御霊は既に与えられています。


ヨハネ 7:38「私を信じる者は、聖書が言っている通り、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」


生ける水の川(聖霊)が私たちから流れていなかったら、異言で祈らなくてはならない事を意味しています。


イザヤ 28:11「まことに主は、もつれた舌で、外国の言葉で、この民に語られる。」


舌は、ヘブル語で、「śepheth」 pronounced saw-fawです。それは、何かが流れ出る注ぎ口を意味します。私たちの唇は、生ける水の川が流れ出る注ぎ口であり、それは生ける水の川を止める事もできるのです。


「私の言葉は霊であり、命です」とイエスが言ったように、聖霊が私たちの口から出ます。川が複数形なので、御霊が様々な形で私たちの口から出る事になります。私たちの通常の言語や、異言で出て来るのです。御霊は様々な方法で、私たちから出たいと願っています。


ヨハネ 7:39「イエスは、ご自分を信じる者が受ける事になる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」


イエスが栄光を受け、ペンテコステの日に御霊は来られました。イエスが来られた理由は、御霊が私たちの内に留まる事ができるようにする為です。御霊が私たちの中に留まるようになった理由は、御霊が私たちから出て、様々な形で力を発揮する為だったのです。

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