2022年9月8日木曜日

種々の異言 17

 多くの人が異言で祈る時、それを解き明かす事はない。


レイクは異言で祈り、解き明かした。それは、神の霊が彼を通して祈り、神を讃える事だった。それは、神を崇め、神を讃える事であった。同時にそれは、彼を慰め、励し、彼の置かれた状況に対処する為の助けとなった。


これは、誰かから与えられたメッセージではない。彼は神に向かって異言で祈り、神を崇め、その過程で神は彼に語りかけ、彼の状況の必要性に答えていた。


誰かが持って来たのではなく、レイクの中から出て行った生ける水の川が、自分の中に戻って来たのである。


ダビデは、主にあって自分を励ました。それは、詩篇を書いて自分自身を励ます為に歌うという方法であった。


自分の中から、異言で祈る事によって、神の知恵、助言、励まし、慰め、問題に対する答えを引き出す事ができる。

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