2022年9月7日水曜日

種々の異言 18

異言による執り成しは、うめき声、叫び、泣き、苦しみに関係している。


ローマ 8:26「同じ様に御霊も、弱い私たちを助けて下さいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が、言葉にならないうめきをもって、執り成して下さるのです。」


パウロは、我々の知性では分からないという意味で語っている。御霊の思いなら知る事はできる。必要なのは、御霊の思いにあるものを我々の思考に取り込む事。これは、思考の一新の事であり、最良の方法は、異言で祈り、それを解き明かす事である。



我々は、他の人々の為に御霊によって執り成す。時々、御霊の強い導きによって、執り成しの為に祈る事があるだろう。自分では、誰の為に祈っているのか分からない時もある。


誰かが祈りを必要としていると察する時、危険な状況がある時、異言で祈ると良い。



執り成して行く中、神が様々なものを見せて下さる時がある。神が秘密を守る為にあなたを信頼すればするほど、神は秘密を明らかにして下さる。そうでないなら、あなたの異言の祈りの中に留めておく。



異言で祈っていると、写真のようなものを瞬間的に見る事がある。それは神の霊が、あなたが何を祈っているかを示しているのだ。だからこそ、思考を集中させ、考えがあちこちに行かないようにする。



あなたの思考の肉的な部分は、この世と同じように考えていて、神と敵対している。悪魔はどんな地も譲ろうとしない。悪魔は、あなたが霊の中に入っていく事を望んでおらず、あなたが肉的、魂の領域にいて欲しいと望んでいる。何故なら、あなたが推論している時、悪魔はあなたを騙す事ができるからだ。悪魔は、あなたに理にかなったものを与え、そう考えるのが論理的だと言うだろう。しかし、神は論理的に考えるのではなく、霊的に考える。


ジョン・レイクが与えたメッセージは通常、全て最初に異言で祈られ、解き明かされた。ジョン・レイクはこう言っている。「私が道路を車で走っていた時、神の霊が私に語りかけました。カーブを曲がろうとした時、神の霊が道の反対側に行けと言うのが聞こえました。私はその声を何度も聞いていたので、それに従えばいい事がすぐに分かりました。私が車線変更した直後、トラックが反対車線のカーブを曲がって来ました。もし私が右車線に留まっていたら、理性的に考えていたら、正面衝突していたでしょう。しかし、私は御霊の声に耳を傾け、言われた通りにし、反対車線にいた私は、トラックを回避したのです。」


レイクが神の御霊を聞いたのは、異言で祈った事によって、御霊に敏感になったからである。異言で話す事のもう一つの利点は、神の霊に敏感になる事である。異言でよく祈るようになると、あなたも敏感になるが、神の御霊も、あなたを導きやすくなる。



異言でよく祈っているなら、より神に頼る事ができ、行く先々で良い事が起こり始める。それは、あなたが神と一致するにつれ、自然と神の導きの中に入る事になるからだ。神の声を明確に聞いていなくても、タイミングの良い場面にいる事ができる。


異言でよく祈ると、直感も霊的になって、正確になる。神の声を明確に聞いていなくても、「こうするべき」だという直感が当たるのだ。



1コリント 6:17「6:17 しかし、主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。」


異言によって主と交わる者は、その人の魂が、主と一つの霊になるのだ。それにより、自然と様々な良い事が起こる。私は、「主が私に回れ」と言って下さると信じているが、それは私が望んでいる事になっていると思う。それほど、我々は主と一つになれるのだ。


主とそこまで一つになっていない場合、あなたはそれほど霊的に敏感ではない。その為、「そこを曲がりなさい」という神の指示があっても、あなたはそのまま歩き続けるだろう。もう一度、神が「そこを曲がりなさい」と言われ、あなたがその指示に気づいて、曲がろうとするなら、 あなたはようやく、神の指示に気づいたという事だ。しかし、気づかないほどに、神と一つになるなら、神と共に行動して、自然に道を曲がる事になるのだ。



神と共に歩む事への敏感さは、普段の生活の中で異言で祈る事で得られる。危機的状況に陥った時に祈るだけでは、その敏感さは得られない。


大抵の人は、危機に陥った時だけ神に祈る。全てが順調な時は、ただ放っておく。異言で祈り続けるなら、もっと良くなるはずだ。


神の最善とは、あなたが神と共に歩み、上手に危機を回避する事なのだ。そうすれば、もしあなたが危機に陥ったとしても、あなたがそこにいるのは誰かを助ける為だと分かる。


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