2022年9月22日木曜日

種々の異言 8

異言を一つのしるしとして使う事にしたのは神であった。我々は、神が何かをなさる理由を全て理解しているわけではないが、神への信仰はそこから生まれる。神は異言で話すように言われた。それは神が言われた事である以上、我々はそれを行うべきである。

パウロは、あなたが異言で祈る時、あなたは人ではなく神と話していると言っているが、解釈できるように祈りなさいとも言いった。御霊を通しての神とのコミュニケーションは異言である。父なる神と我々の間に働き、我々を神に繋いで下さるのは御霊である。神が私たちの為に用意して下さったものは、御霊によって我々にもたらされる。

あなたは常に正しい祈りを祈る方法を知らないが、あなたの内にある御霊は正しく祈る事ができる。それは、御霊があなたを通して祈るという事だ。


御霊があなたを通して話す時、あなたは聖霊に委ねている部分もあり、あなたを通して話す機会を御霊に与えている。


聖書が新生について殆ど語っていないのは驚くべき事である。しかし、全ての弟子たち、イエス、神、旧約聖書の預言者たちによる聖書の圧倒的な証拠と、彼らが教えたものは、新生の結果よりも、聖霊の到来と我々の内に宿る御霊に関するものであった。

生まれ変わった事は素晴らしいが、そこに留まるべきではない。御霊に満たされるのだ。イエスの到来は、神の霊を私たちに与える為、神の御霊を我々と結びつける為だったのだ。


我々は御霊との関わりについてよく理解していない。我々の内に住まわれる御霊は、我々の霊において、一つになっておられる。聖霊を歓迎すれば、聖霊が天から降りてくるのではない。既にあなたの内におられるのだ。あなたが新生しているのなら、御霊が内におられる。


異言で祈るにつれ、あなたは御霊との密接な関係を保てる。そうすると、あなたの考えや知恵が聖霊からのものとなる。御霊があなたの内におられるという事は、神ご自身がそこにおられるので、神の知恵を必要な時にいつでも使用できるように、文字通りあなたの中に埋め込まれている事と同じなのだ。そして、引き出す方法は異言で祈る事による。異言で祈れば、御霊が共に祈って下さり、神の知恵が分かるようになる。その意味では、異言は、ただ我々が神に話すという事だけでなく、神からの啓示をゲットする手段でもある。異言を話すという事は、光ファイバーに似ている。情報は同時に双方向を行き来する。



何をどう祈れば良いのか分からない事があっても、異言で十分に事前に祈っているなら、御霊は必要としているものを与えて下さる。




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