2022年9月22日木曜日

種々の異言 8

神によって選ばれた異言


異言を一つのしるしとして選んだ(マルコ 16:17)のは神です。私たちは、神がなさる事の理由の全てを知る事はありませんが、神への信仰は、全てをしらないからこそ生まれるとも言えます。異言で話すように神が言われた以上、私たちはそれを行うべきです。


パウロは、私たちが異言で祈る時、私たちは人ではなく神と話していると言っていますが、解き明かすように祈りなさいとも言いました。御霊を通して神とコミュニケーションを取る方法は、異言によってです。父なる神と私たちの間に働き、私たちを神に繋いで下さるのは御霊です。神が私たちの為に用意して下さったものは、御霊によって私たちにもたらされるのです。


私たちは常に正しく祈る方法を知りませんが、内におられる御霊は、私たちを通して正しく祈る事ができます。御霊が私たちを通して異言で話す時、私たちは聖霊に委ねている部分もあります。異言で祈る時、私たちは、御霊が私たちと共に祈る機会を御霊に与えているのです。


聖書が新生について詳しく語っていないのは驚くべき事です。しかし、全ての弟子たち、イエス、神、旧約聖書の預言者たちによる証拠と彼らが教えたものは、新生の結果よりも、聖霊の到来と私たちの内に宿る御霊に関するものでした。


生まれ変わる事は素晴らしい事ですが、そこに留まるべきではありません。御霊に浸かるべきです。イエスの到来は、神の霊を私たちに与える為、神の御霊を私たちと結びつける為だったのです。


私たちは御霊との関わりについて、まだよく理解していません。私たちの内に住まわれる御霊は、私たちの霊と共に、一つになっておられます。聖霊を歓迎すれば、聖霊が天から降りてくるのではありません。既に私たちの内におられるのです。新生している人の内に御霊がおられます。


異言で祈るにつれ、私たちは御霊との密接な関係を保つ事ができます。次第に、私たちの考えや知恵が聖霊からのものとなります。御霊が私たちの内におられるという事は、神ご自身がそこにおられるので、神の知恵を必要な時にいつでも使用できるように、文字通り私たちの中に埋め込まれている事と同じなのです。神の知恵を引き出す方法は、異言で祈る事によります。異言で祈れば、御霊が私たちと共に祈って下さり、神の知恵が分かるようになります。その意味では、異言は、神からの啓示をゲットする手段でもあるのです。


1コリント 2:10「それを、神は私たちに御霊によって啓示して下さいました。御霊は全ての事を、神の深みさえも探られるからです。」


何をどう祈れば良いのか分からない事があっても、異言で十分に事前に祈っているなら、御霊は必要としているものを与えて下さいます。

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1 異言に対する反論

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