2022年9月19日月曜日

種々の異言 9

我々は、生活の中で働く御霊の力(御霊の賜物)を現しているべきである。


我々は御霊の実を現さなければならない。御霊の力の現れはすぐに見られるが、実は育つのに時間が掛かる。つまり、成長するには時間が掛かるという事だ。

御霊の力の現れを常に保つには、御霊の実が必要である。御霊の実は安定性を与え、間違った方向へ行く事を抑止する。しるしと不思議だけを求めるのではなく、キリストの性質である御霊の実も同時に求めていかなくてはならない。


我々は神の性質を持っている。御霊の力、御霊の実、神の性質これら全ての特徴が合わさってクリスチャンになるのだ。それらは一つになってクリスチャンを築き上げ、クリスチャンが神の御子の生きた真の模範となり、神の力の中を歩み、神の知識の中を歩む事ができるようにする。その殆どは異言で祈る事によってもたらされる。



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