御霊に満たされる事の利点
1コリント 2:16「誰が主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心(考え)を持っています。」
私たちは実際に、キリストの考え方を引き出す事ができます。私たちは、いずれキリストの考えに満ちて、歩む事ができるのです。成長の過程でそこに到達する事になるでしょう。これは思考の一新の事です。
キリストの考えは私たちの内にあるので、それにアクセスする事は可能なのですが、現状としては、キリストの考えで完全に歩めているわけではありません。ここに、私たちの立ち位置と経験の違いがあります。私たちは神の子というポジション(立ち位置)にいるので、全ての霊的祝福をキリストの内に持っていますが、実際には、それらの全てを経験してはいません。
神の霊が私たちの中に住んでおられるので、その活動は私たちから外へ出て行かれる事であり、天から降りてくる事ではありません。
私たちが聖霊に満たされている時、「私にあるものをあげよう」とペテロが言ったように言う事ができます。これは、聖霊に満たされる事の利点です。異言を通して神とのコミュニケーションを取っていると、その親密な関係が築かれ、聖霊をより近くに感じる事でしょう。そうすると、私たちは、神に何かを求めたり、許可を得ようと考える事をしなくなり、神の子として大胆に歩み始めます。もちろん、バランスや秩序を保つ事は大事なので、イエスの教えに沿うように、御言葉を蓄えて置かなければなりません。
十字架の偉大な功績は、人が御霊を通して神の住まいとなれる事を可能にし、保証する事でした。十字架の目的は、神の御霊を私たちの中に取り戻す事であったのです。ただ罪の刑罰から救う為だけではなかったのです。イエスが救いを中心に語ったのは、聖霊の満たしについては、まだ隠していたからです。
人が救われた瞬間に、神の計画の全てが達成されるのではありません。信者が神の子としてこの地を治めるまでは、何も達成されていないのです。そして、神の子が地上を治めるには、聖霊の中に浸かる事が必須になります。
ジョン・レイクは次のように言っています。「キリスト教の大きな危険は、初期の教会に存在していた、私たちの中にある神の御霊の生きた臨在に対する畏敬の念を失う事だ。」
それが聖霊に満たされる事の恩恵です。私たちは人々に、神の御霊の、生きた臨在に対する畏敬の念を与える事ができます。私たちはそういう者なのです。
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